レイチンのログ

無より来たりし者の生活ログ

頭が回らない

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頭が回らない。

まともに本を読めたころは小説を書きたかった。今はもう無理だ。文章が理解できない。自分がなにを書いているのかもわからないし、読んだ人間がなにを感じるかも推定せず書いている。

頭が回らない。なにも理解できない。記憶が続かない。意識に連続性がない。毎日、虫けらが目覚めて、相応に快楽と苦しみの息継ぎを連続させて、眠り、また虫けらが目覚める。浅い世界だ。深い苦しみすらない。思うに、深く苦しめるということは人生があるということなのだろう。思うに、人間がほんとうに苦しめるのは二度か三度までまでで、破滅も四度目とかになると、笑い話にしか感じられなくなって苦しめない。

頭が回らないんだ。

昔は、人生の節目に読んだ本とか聞きこんだ曲があった。世界観があったんだ。世界観を取り込んで、人生のレンズをすべて入れ替えることができた。今はもうない。真面目に本を読めたころ、自分は人間なんだったんだろう。いまはもう違う。なにもない。すべて壊れようと、なにを得ようと、なにを感じようと、なにを捨てようと、いま死のうと、なんの感慨もない。恐怖と苦しみに生かされているあいだは、それが消えない。

記憶がないんだ。ここ十年なにをしていたのかよくわからない。わからない。

 

本を読みたい。この世にはすばらしい本が無限にあって、それを拾っていくだけで血が凍るような感動を味わえたはずなのに、いま、血が凍るのは憎悪だけだ。血が凍るような憎悪を知っているだろうか?すべてが明瞭になり、なにもかもが理解できる。だから怒りしかすがるものがなくなった人間は憎悪に依存してしまう。

なんて罠だ。真の憎悪は神を対象するとしかない。でも神には勝てないんだ。本当に勝てない。マジで勝てない。たとえ話なんだけれど、やっぱり憎悪は間違った方法なんだ。それがどれだけ快楽でも、快楽は苦しみなんだ。

頭が回らない。

間延びした痴ほう症患者のような時間がずっと続いている。

楽ではある。まったく温度を感じないから、火であぶられようが凍えようが、楽ではある。

記憶が続かない。人生に連続性がない。一つ破滅するたび、前にはできたことができなくなっていく。依存し、依存を克服するたび、すべてが鈍磨していき、人格なんて嘘っぱちで、すべては依存にすぎないのだから、自分なんていないのだと感じる。ぽこたんインしてないんだ。ぽこたんどこいった。魂があったはずだ。なかったのか?もとからなかったのか?ぽこたんインしてなかったのか?インしてたと思う。ただ、それは記憶なので、半分は偽だ。記憶の半分が偽で半分が真実というのも希望的観測で、過去なんて実在しないのだろうとも思う。でも、現在すらも怪しい。現在を認識できる時点でとても低い次元にいる。人はとても高く創られた生き物なのだと知っているけれど、階段を千のぼっても、魂に一億段階あるうちの千段なら、そんな苦労とか進んでいるとか、真剣みがいくらあっても、心の底では全部信じられないし……信じるって何だろう。確信だろうか。私ってなんだろう。確信できないんじゃないだろうか。存在ってなんだろう。自分が存在でないことは知っているけれど、普段は自分を存在だと考えている。確信したいものがなんなのか、この世すべてに問いかけなければならないはずなんだけれど。データがあるはずだ。なにを参照しているんだろうか。参照しているものはなんなんだろう。

我々はもっとすべての人を兄弟として愛せるはずなのだろうか。それとも、もともとそんなことは嘘っぱちで、さらに適当に生きていくほうがよいのではないだろうか。

神は正しい。神は正義と信頼の属性を持っている。正義や信頼があるとき、そこには無条件に神があって、人は神的な器を捧げ持っている。錬金術師が神の属性を抽出して金をつくりだす。我々は器を掲げているのに、その中に神があると知っているはずなのに、触れられるものはフラスコだけだ。メスフラスコって響き、なんだかエッチだね。放課後、バンドのボーカルやってるダウナーな先輩にそんなこと言われたかった。バンドのボーカルやってるダウナーな先輩がほしかった。バンドのボーカルやってるダウナーな先輩を……とりもどさなくてはならない。それはなくてはならない要素で、自分の中で欠けていて、そのピースを世界から取り戻さなくてはならないのだ。プロメテウスは人をいつくしんで火を与えたという。人は知恵を得たから罪を得たのだという。バンドのボーカルやってるダウナーな先輩は、もとは私のものだったはずだ。なのに先輩はいない……先輩はあいつらに殺された!

我々から聖なるものを奪ったやつらは、聖なるものを持っているはずだ!

なぜ死ぬ生き物に生まれた!?不死の種族は我々のいじましい笑顔を邪悪なほほえみで眺めてる!

不死!つまりエルフ!あいつらは我々のすべてを奪い取ったかもしれない!エルフめぇ!ゆるせんよな。

 

 

 

 

 

 

 

【日付】

2023.11.14

 

【体重】

 95.5キロ(±0)

 

【摂取カロリー(目標1000)】

2000くらい

 

【運動量】目標180min

散歩0

エアロバイク180min

 

【作業量】

アイパッドにソシャゲいれた。これ作業か?

 

【継続規律】

エッチなことはだめ!死刑!禁止!(2日目)

食事は朝六時から昼二時までの間にすべて済ます(短時間断食)(0日目)

 

【行動記録】

・散髪に行き、スクーターの整備もした。スクーターは後輪の空気が0.5とかになってたが、救うことができた。私はまるで太陽のようにスクーターをあたためて庇護したのだ……本当は車がほしいのは内緒だよ、でも車が手に入ってしまうと怠惰になる気もする。車は移動する個室だから引きこもってるのと大して変わらん。

・外出そのものが不安で億劫になってしまっているのを改善するため、毎日お外に出るようにしたいな。外を歩くと自分が劣っているような謎の錯覚は、完全に勘違いで、これは卑屈というより傲慢な感覚である。要は同化できるほど自分を小さくできない、自分の価値を高く見積もりすぎているから小さな嫌な気持ちに耐えられなくなってしまっているんだね。自分をいったんゼロ価値化できれば、会話もてくてく歩くこともあまり億劫にはならない。

人によっては一つのプロセスでそういうことは克服できるんだろうけれど、自分みたいなエリート社会不適合者は五つくらいのプロセスが必要となる。そういう風見鶏さ。

でね、いろいろ諦めてそこから出発するのが早いと感じました。お外怖い感は、空想の中に生きているような人間だとすぐ再発するから難しい。

俺は引きこもりから脱出したことのある超人なので外出怖い病を克服したことがあるけど、この感覚を持ったまま生きている人は本当に多くいると思うし、そこでこの私に提案がある。人類ははやいとこ肉体から解脱し量子コンピュータ内で真のプライバシーを手に入れ、なんか記号化されたアバターで会話しまくってコミュニケーションの悦楽を得るんだ。最初は色んな個性があったんだけど、百万年とか過ぎて銀河系に散らばる電子的なネットワーク……ストラクチャーと自己を同一視しはじめた人類は、得られる情報がすべて同じであるがゆえにだんだん均一化し、無貌の群体生命体みたいになって個人とは一つのセルに過ぎない役割を果たし始め、ついには創発した高次自我に目覚めるのだ……なんて気持ちいいんだ、我々は一つであり全てなのだ。愚かな宇宙人め、アルファでありオメガであるところの人類(統一タイプ)に逆らうのか?みたいな……なに言ってんだ……私は散髪にいっただけなのにアルファにしてオメガになったりこういうとこがだめだめのだめだめなんです。シャーロックさん。

 

・あと、ブレイキングバッドみています。おもしろいですね。一話がとくにおもしろかった。エアロバイクに乗りながら三時間くらい見れちゃう。

・体がなまっているので、エアロバイクを漕いだだけで、神経と筋が限界に来ています。クソ雑魚運動能力だけど、繰り返せばだんだん高い負荷に耐えられるようになるので、関節だけは痛めないように気を付けていれば、体は筋肉を取り戻していくのだと思う。肉体労働するのが一番手っ取り早いけど宇宙がそういうことを望んでいない気がするのでひっそり裏世界でひそひそみちみちになっていく。

・ただ、エアロバイクは全身運動ではないので非効率だと感じる。ほんの20分ほど腹筋や腕立てを行えば、もっと効率よく筋肉が増えてダイエットに寄与できるのではないのか。

まあ急ぐ旅路ではないし、急いで何かがよくなったことは一度たりともありはしなかった。急いで何かが変わるというわけではありませんから、先ずは食事制限とエアロバイクをこなせるようになったら、だんだんとそういう負荷を増やしていければいいなぁ。ロードバイクとか乗ってみたいけど、いまはちょっと無理だ。けれどそのうち乗れるんじゃないかと考えています、なでしこ。